見て歩き型観光から体験型観光へ

 「あなたにとって、北海道のイメージは?」
 北海道の玄関、新千歳空港に降り立った観光客にこんな質問をしたら、どんな答えが返ってくるでしょう。時計台、雪まつり、ホクホクのじゃがいも、それとも温泉……。たくさんある「これこそ北海道」の中、やはり広大な緑の牧場とそこで草を食む牛たちの風景を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
 北海道観光を考察する上で、酪農や牧場の景観という要素は非常に大きな役割を担っています。ただ、酪農業のありかたも様々で、乳牛を飼育し搾乳、出荷するという生乳生産活動にとどまらず、乳製品の製造・販売やレストラン経営、ファームイン型の酪農体験など観光的要素を強く打ち出す酪農家も増えています。そして、その観光のパターンも、北海道ならではの牧場風景を見て楽しむ「見て歩き型観光」から、自らの手で乳搾りやバター、チーズ作りを体験するという「体験型観光」へのシフトも見られるようになってきました。
 そのような状況を踏まえ、北海道庁は各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生することを目指す「まち・ひと・しごと創生本部」への政策発表として、「体験型観光の充実など道内各地の多彩な魅力・特色を活かした滞在型観光地づくりを推進」するという内容を述べ、北海道行政が主体となって体験型観光を推進していく動きが出てきています(参考1)。
 一般的な酪農体験は牛の餌やりや搾乳体験などを想像しますが、運営している酪農家の想いはそれぞれです。ここでは、酪農体験が人気となっている十勝に焦点をあて、酪農体験がもたらす地域への定住・就農の関係について考えてみましょう。

酪農の魅力が客を呼び、仲間を呼ぶ

農家民宿A

 道東・十勝の玄関口、帯広市の北東に位置し、人口約8,000人ながらその面積は約1,400km²と「日本一広い町」を誇る足寄(あしょろ)町。ここは知る人ぞ知る、かつて北海道の雄大な大地をテーマとする名曲を歌った歌手の出身地として有名な町であり、その農業産出額全体の4割以上を酪農が占めているという酪農の町でもあります(参考2)。
 そんな足寄町に、酪農業を営むかたわら「農家民宿」を経営し、宿泊者に酪農体験や自家農場の生乳を使った乳製品作りの体験を提供しているA牧場があります。こちらを経営するYさんは、牛の能力を最大限に生かしたいという考えからニュージーランドで酪農を学び、帰国後は北海道で牛の自然放牧による酪農を実践しています。

 Yさんが推進する酪農の根底にあるのは、牛と人間のパートナーシップを尊重しながら人にも牛にも無理のない酪農を運営するという、自然の恵みに感謝し、家族との時間を保ち、環境へも配慮するという価値観です。
 「酪農はやり方次第で今まで以上に魅力的な産業になる。そうなれば地域が活性化され、仲間が集まり定住者も増えて、後継者も育つんですよ。」とYさんは熱く語ってくれました。酪農の素晴らしさを、同じ酪農家だけでなく都会で生活する人たちにも知って貰いたいとの想いで始めたのが「農家民宿」でした。 Yさんが運営する「農家民宿」は多くの観光客を集めて収益をあげる商業的宿泊施設とは一線を画し、彼ら家族と寝泊まりと食事をともにして一緒に牛の世話をしたり、チーズを作ったり、利用者に酪農の素晴らしさを知っていただこうという施設です。確かに一般の方がイメージしているような多くの観光客を集める施設ではありません。宿泊は、春から秋のシーズンのみ、予約も月に数組程度です。
 ただし、ここを訪れる宿泊者は彼が営む酪農に触れ、十勝の大自然に触れ、Yさんの魅力に触れて、キラキラ輝く笑顔で自分たちが住む都会に帰っていくそうです。その宿泊者が語る酪農体験の魅力がまた次の宿泊者を呼んでいます。地道ながらもこのような流れが都会に住む酪農ファンを増やし単なる観光目的ではなく、北海道酪農を定住先や就農先として視野にいれる人たちが増えていくのでしょう。

工房の熟成庫で出荷を待つハードタイプのチーズ

 Yさんのそうした信念に呼応するようにこの地に移住してきたHさんはYさんの想いに惹かれて2013年に完成したチーズ工房設立のために同牧場のスタッフとなりました。現在は様々なタイプのチーズを開発。牧場を訪れる客や町中の販売施設で徐々に売上げを伸ばしてきています。
 酪農が作り出す北海道的な風景が観光客の「目」を魅了するだけでなく、酪農体験が「脳」を、生乳やチーズが「舌」を虜にし、それがHさんのような仲間を呼び、次代の酪農の担い手、北海道への移住者・定住者につながっていくのでしょう。

観光の本来の意味は?

 ところで、これからの北海道を考える上で「北海道観光王国」や「観光立国」構想(参考3)が必要である、とよく言われます。この「観光」という言葉を考える時、豪華なホテルや旅館、テーマパークやアミューズメント施設、鉄道や道路というような「見て歩き型観光」に便利なハード面からの捉え方が中心になりがちですが、それだけではないでしょう。
 本来の「観光」という言葉は、帝王学と称される中国の古書・易経(えききょう)の20番目の記述「風地観(ふうちかん)」から来たと言われています。風地観の項目4、四爻(よんこう)では次のように説かれています。

 「国の光を観る。用(も)って王に賓(ひん)たるに利(よ)ろし。」

 その内容は、「大局的な判断、充分な見識の広さで国=そこの場所や風土を観察、分析できるようならば、有力者や上司の引き立てを受ける。」というもの。つまりは国の光=地域の優れたものを観せる・観ることが「観光」という言葉の原点となっています。単に風光明媚な場所を見て歩く、あるいはそれを目的とする客を誘致するという現在使われている「観光」とはニュアンスが異なります。これは地域、酪農の本来の魅力を体験し、ソフト面を理解する「体験型観光」は本来の「観光」の意味に通じるものがあるのではないでしょうか。農家民宿と酪農体験、チーズ製造で酪農本来の魅力を発信するY牧場の取り組みは、まさに大局的な立場から「国の光を観る観光」に値する事例と言えます。こうしたソフト面からアプローチする観光は、一般的に「通過型観光」と呼ばれる短時間で効率的な経験のできるハード面を整えることで生まれるものとは異なり、滞在時間をしっかりとることで、楽しみながら本来の価値を理解できるため、その魅力に惹きつけられる人も多く現れ、移住・定住にもつながるのではないでしょうか。

北海道観光における酪農の価値

 本稿ではA牧場が取り組む農家民宿の運営、チーズ作りなどの「体験型観光」のケースを述べてきましたが、北海道ではA牧場の他にも、バター作り体験、乳搾りや牛の餌やりなど、手軽に酪農体験ができる牧場も多くあります。広大な面積と恵まれた自然を有する北海道ならではの酪農を基盤とする観光スタイルは、多くの顧客、幅広いターゲットに対して深く印象づける可能性を秘めており、単なる観光客誘致という側面だけでなく、北海道への定住、移住、就農を進めていく上での大きな要因となることでしょう。
 酪農は、その景観、ファームレストラン、お土産となる乳製品、乳搾りや餌やりなど、「観る」、「食べる」、「買う」、「遊ぶ」という様々な側面で北海道観光の魅力となっています。しかし単なる通過型観光だけでは伝わりきらない魅力をよりダイレクトに伝えるためには、A牧場のような農家民宿の存在、その背景にある素晴らしさを伝えるための「酪農の伝道師」ともいうべき酪農家の存在が何より重要です。そこを訪れる人は、彼らと一定の時間を共有することにより、酪農家やその周囲に集まる人たちが語る熱い想いと、その生乳生産だけではない酪農の側面を知り、真の酪農の魅力を知ることができるのでしょう。それはやがて地域への移住・定住を生み、観光からその次のステップへのきっかけとなるのではないか、これこそが北海道の新しい価値を生み出していく原動力になる、と確信した次第です。

<参考>

【参考1】
「北海道の『資源』を活かした地域産業基盤の強化」H26.10.10
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/kihonseisaku/dai7/s1.pdf
【参考2】
市町村の姿 グラフと統計でみる農林水産業
http://www.machimura.maff.go.jp/machi/contents/01/647/index.html
【参考3】
「世界に開かれた観光王国・北海道」戦略特区
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/pdf/42-hokkaido2.pdf