近年、都会で就職した後、地元にUターンして働く人が増加しています。地元企業への転職だけでなく、生まれ育った町での起業も今後ますます増えていくでしょう。地方での起業は都市部に比べて家賃などの固定費が安いといったメリットがあり、また最近では国や自治体の支援策も充実してきています。大都市圏との消費量の違いも、インターネットを利用した商品販売が普及した現在は、以前ほどデメリットとしてあげられなくなっています。そういった状況でUターン起業にとって大きな課題は、どれだけ地元に受け入れてもらえ、愛してもらえるか、だと思います。多くの起業家を見ている中で、成功する人たちは経営を進める上で、手助けしてくれる人が周囲にいます。その意味で、地元の人たちに味方となって助けてもらうことが起業後の経営のキーとなってくるといえます。
 北海道十勝で酪農家として起業したOさんも、そんな「Uターン転職組」の一人です。Oさんの実家は酪農業。ただ、Oさんは高校卒業後、酪農とは全く違う仕事をしたいという思いから地元を離れ、神奈川県で別の仕事に就きました。ところが、そこで3年ほど働く間に、「Uターンして酪農家として働きたい」という思いが芽生えはじめます。その思いは次第に強くなっていき、実家の農場への転職を決意しました。
 実家の農場で働きはじめて、目の当たりにしたのが酪農の現場で働く兄の姿。親の跡を継ぎ、経営者としていきいきと働いていました。そこで、「自分も起業し、経営者としての可能性を試してみたい!」という思いを抱き、酪農家としての独立を決意したそうです。

酪農起業の魅力 充実した学び

 ただ、Oさんは、Uターンするまでは別の仕事をしていたため、実家で働き始めた時には酪農の知識はほとんどありませんでした。そのため、少しずつですが実家での仕事を通して、酪農のイロハを学んでいきました。それと同時に、地域のJAが指定する農場での実習も受けました。
 実家の家業を継ぐというのも様々なケースがあると思いますが、多くのケースでは引き継ぐ人は家族など身近な人から少しずつ知見を習得していくことになります。北海道で就農する場合、もちろん家族から知識を学ぶことも可能ですが、地域のJA等、専門機関からの指導も受けることができ、体系的に酪農を学ぶことが可能といえるでしょう。現場での実務や経営全体を学んでから独立できる制度が整っているのは、事業者一人一人が協力して業界全体の発展という目標に向かう酪農業ならではといえ、新規就農者にとって起業の際の不安を大きく和らげてくれます。

酪農経営のやりがい

酪農家Oさんの牛舎

 このようにノウハウや資金面で手厚いサポートがある酪農ですが、もちろん、他業種の起業と同様、日々の経営については自ら学んでいくことが必要です。またそれがやりがいにつながることにもなります。「酪農の基礎知識をしっかりと学び、餌やりなどの基本を押さえつつも、牛の体調などは現場感覚を磨いて対応すること。そうした毎日の積み重ねが、しっかりと結果に繋がる」。Oさんは日々の仕事でのやりがいを嬉しそうに語ってくれました。毎日の基本的な仕事の積み重ねが搾乳量など具体的に成果として現れる、日々の努力が結果として見えやすいことも酪農のやりがいといえます。
 また、酪農の大きな魅力として、仕事を通じて実現する社会的な意義が挙げられます。Oさんもそうですが、地元の小学校、中学校の教育の一環として酪農体験などを積極的に地域と連携して行うなど、地場産業として社会貢献活動も活発に行っている酪農家もいます。
 昨今、環境保護、福祉や観光、教育に至るまで、多種多様な社会的課題の解決に向けて、住民、NPO、企業といったさまざまな主体が協力し、収益事業に取り組むソーシャルビジネスでの起業が増えてきています。酪農もそうしたソーシャルビジネスとしての側面をもっているといえるでしょう。若い世代から拡がりつつあるこうしたビジネスは、国や各企業からも注目されてきています。上記にあげた教育分野だけでなく、酪農は有効活用の難しい土地を牧草地に変え、乳牛のふんを作物の肥料とするなど、環境保全や景観保持といった側面、あるいは酪農体験や牛との触れ合いを通して心身のリラックスを生むアニマルセラピーといった医療や福祉の側面でもソーシャルビジネスになり得るポテンシャルを秘めているといえます。多くの人がその可能性に気づくきっかけを作ることが今後の酪農業界の新たな発展にも関わってくるのではないでしょうか。

酪農業界の将来性

 「最近は、酪農家を志す人が増えてきていると実感します」。そう語るOさんに、酪農業界の今後について質問をしてみました。「私たち先輩の酪農家が新規就農者の受入体制をますます整えていかなくてはなりません」。このOさんの言葉からもわかるように、酪農は、より良い生乳をより多く生産するという目標に向かって、地域の酪農家がお互いに発展させていくビジネスです。「新規参入する酪農家が成功するために、先輩経営者が助けていく」、個人事業主であってもそのような「協同」の考えが浸透している業界と言えます。事業者一人一人が自分の農場のことだけを考えるのではなく、生乳生産という同じ製品をつくる酪農業界全体としての発展を考え、新規参入者への支援に取り組んでいます。そのため、新規参入者の心持ちとしても、既存の事業者とは技術では切磋琢磨しつつも、決して商売敵とは思っていません。冒頭のUターン起業での課題としてあげた、地元からの受け入れに関しては、こうした協同の考えに基づく経営をしていくことで、他の事業者のサポートのもと、スムーズにコミュニティに受け入れてもらえ、事業も進めやすくなるといえるでしょう。
 さらに、Oさんのように実家が酪農業を営んでいる人も、そうでない人も北海道の在住者は都府県に比べ酪農を身近に感じている人も多いのではないでしょうか。Uターンでの酪農起業は北海道では珍しいことではないそうです。実際に、ここ10年の新規就農者のうち30%がUターン就農者であり、毎年50~80名程が地元に戻って新規就農をしています(参考1)。実家が牧場を営んでいることの有無に関わらず、北海道へのUターン者にとって酪農は1つの起業・転職の選択肢になるでしょう。特に北海道酪農は前述した通り、学びの場や資金面でのサポートといった新規就農者の受け入れ地盤が整っており、社会貢献活動も盛んです。Uターン就農者は年齢的にも20~30代が多く、こうした酪農業界を多くの若い人が正しく理解をすることで、起業・転職先としてより注目すべき業界となるでしょう。そしてOさんのように協同の考えを持つ若い酪農家が北海道を中心として、ますます増えていくことが日本の酪農業界にも明るい未来をつくることにつながると確信しています。

<参考>

【参考1】
酪農の夢をかなえる就農・経営移譲手法開発
http://d-helper.lin.gr.jp/newfarmer/PDF/H25case3.pdf